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再生楽器の完成、そして津軽三味線・新時代へ
2011年、震災の年、夏頃から製作を始めた”再生楽器”たちが次々と完成しました。
これは宮城県出身の音楽仲間と共に行った「ゼロ・ワン・プロジェクト」と言い、震災によってできたガレキから楽器を作り、その音色と共に日本全国、世界各国の皆さんへ感謝を伝えていこうという活動です。
自治体から許可をいただき、膨大なガレキの中から楽器として使用出来そうな木材を探し、職人に選定してもらいこれまでに和楽器、洋楽器を問わず様々な楽器が誕生しました。
ゼロ・ワンプロジェクトによって生まれた最初の楽器は津軽三味線でした。
その三味線に使われた木材は、カウンターテーブルに使用される様な大きな一枚の厚い木だったそうです。
それを浅野が預かり大切に演奏しています。
本来、津軽三味線には数十年に渡り乾燥した硬い枯れ木を使用します。
びっしりと目が詰まっていて見た目よりも重いのが特徴です。
しかし、ガレキから作った三味線は、海水に浸かった経緯もあるためか、非常に柔らかく本来の重量の半分程度でした。
しかし、誰かの生活が染みこんだものから生まれた楽器だと思うと、その重みは計り知れないものであり、演奏していて心が研ぎ澄まされていくのを感じました。
楽器に生まれ変わったことで、浅野のような若い世代の人間が東日本大震災での経験や教訓を後世へ語り継いでいく為のひとつの象徴として、大きな存在となりました。
2011年、震災の年、夏頃から製作を始めた “再生楽器” たちが次々に完成しました。
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浅野祥 あさの・しょう
- 宮城県仙台市出身|1990年3月2日生まれ
- 仙台第一高等学校|慶應義塾大学 卒業
祖父の影響により、3歳で和太鼓、5歳で津軽三味線を始める。
その後、三絃小田島流 二代目小田島徳旺氏に師事。
7歳の時、青森県弘前市で開催される津軽三味線全国大会に最年少出場し、翌年から各級の最年少優勝記録を次々と塗り替える。
2004年 津軽三味線全国大会、最高峰のA級で最年少優勝(当時14歳)その後、2006年まで連続優勝し、3連覇を達成。同大会の規定により、殿堂入りを果たす。※津軽三味線世界大会(旧大会名:津軽三味線全国大会)
2007年17歳でビクターエンターテインメントより「祥風」でメジャーデビュー。以降、コンセルトヘボウ(オランダ)、ケネディ・センター(アメリカ)でのコンサートをはじめ、アメリカ、ヨーロッパ、カナダ、アジア各国でコンサートツアーを行うなど、海外に向けても積極的に発信する。
民謡、Classic、Rock、Jazz、Pops、フラメンコなどジャンルにとらわれない演奏スタイルにより、石川さゆり、山下洋輔、宮沢和史、yamaなど、様々なアーティストとの共演を果たす。中学生時には元BOØWY・高橋まこと(ドラム)とバンドを組んでいた。
自身のアルバムでは世界的なミュージシャンとの創作にも取り組み、ジャズ界の巨匠ウィル・リー(ベース)や、同じくジャズ界の若きスタープレイヤー、マーカス・ギルモア(ドラム)、2度グラミー賞に輝いたリチャード・ストルツマン(クラリネット)らとアルバム制作を行う。
和楽器奏者としては初めて日本最大級の音楽フェス『MONSTER baSH』に3年連続で出演するなど、様々なロックフェスやジャズフェスに出演。
また令和7年度「中学生の器楽」(教育芸術社教科書)に掲載される。
日本屈指の三味線メーカーである三絃工房と、2023年に三味線奏者として世界初のエンドースメント契約を締結。
このような国内外に向けて日本の伝統文化である津軽三味線の魅力を発信していく活動が認められ、浅野の活動が令和元年より政府公式プログラム「beyond2020」の承認事業プログラムに正式決定した。
本来の民謡、古典芸能の追及はもちろんのこと、幅広い世代に三味線の魅力を伝えるべく、津軽三味線の可能性を追い求める孤高の若き津軽三味線奏者。
◆レギュラー番組 NHK FM『出会いは!みんようび』 毎週金曜日11:25〜放送中
◆レギュラー番組 TBC東北放送『杜の都信用金庫 プレゼンツ 浅野祥 ラジオ “祥”case』 毎週火曜日16:40〜放送中
◆レギュラー番組 AuDee “TOKYO FM & JFN系列38局” 『いぎなり!! ミカゲ民謡!!』 毎週金曜日20:00〜放送中
◆レギュラー番組 NHKラジオ第1『民謡をどうぞ』(番組放送作家:浅野祥) 毎週金曜日12:30〜放送中
浅野祥の実家は全壊扱いとなり取り壊しました
浅野が初めて師事したのは大工であった祖父でした。浅野が育った家は祖父が自ら建てた家。その家で祖父は趣味の民謡と三味線を毎日鳴り響かせていたのです。
その音を聴いて育った孫の祥がひとたび三味線に興味を示すと、祖父は嬉しくて嬉しくて祥に三味線の手ほどきを始めたのです。
7歳で津軽三味線全国大会に出場した浅野は、全国レベルの演奏を目の当たりにし、ますます津軽三味線の魅力にのめりこんでいったのでした。
彼と祖父の目標は、日本で最高峰のタイトルであるA級部門の優勝、そして3連覇(殿堂入り)でした。
「どんなに時間がかかってもいいから絶対に優勝しよう。そして必ず3連覇しよう!」
そう約束していたのです。
しかし祖父は祥のA級優勝を見届けることなく、浅野が12歳の時にこの世を去ったのでした。
浅野は14歳でA級最年少優勝を果たし、そのまま3連覇という前人未到の記録を打ちたて、16歳で殿堂入りを果たしました。
東日本大震災によって全壊扱いとなった浅野の実家の床柱は、津軽三味線でも使えそうな木材だった為、浅野の父の提案から三味線を作ることになり、床柱から二挺の三味線が出来上がりました。
柱には思ったより損傷もなく、三味線の全てのパーツを作ることができました。
自身の4枚目のアルバム「Parade」では、この床柱の三味線を使用しています。
これらの三味線をもって、日本各地、世界各地へ演奏にでかける、浅野はいま、そんな夢を抱いています。
たくさんの想いが詰まった木より生まれた三味線、そして自分の目で見て、感じた心。これらを手に数少ないプロの津軽三味線奏者の道を、表現者として一歩一歩ですが、確実に歩んでいます。
津軽三味線はもともと大道芸の様な存在でありながら、高橋竹山によってその存在を世界に広く知られることになりました。
しかし、歴史は浅く、まだ150年程度の楽器です。これからますます進化するこの楽器は、奏者の表現、表現意欲によって、無限に可能性が広がることでしょう。
経歴
1998年 | 「津軽三味線全国大会」 D 級(15才以下)の部優勝 (8才) |
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「津軽三味線全日本金木大会」小学生の部準優勝 (8才) | |
1999年 | 「津軽三味線全国大会」一般 C 級の部優勝 (9才) |
「津軽三味線全日本金木大会」小学生の部優勝 (9才) | |
2000年 | 「津軽三味線全国大会東京大会」高校生以下の部優勝 (10才) |
「津軽三味線全日本金木大会」小学生の部優勝 (10才) | |
2001年 | 「津軽三味線全国大会」一般 B 級の部準優勝 (11才) |
2002年 | 「津軽三味線全国大会」一般 B 級の部優勝 (12才) |
2003年 | 「津軽三味線全国大会」一般 A 級の部準優勝 (13才) |
2004年 | 「津軽三味線全国大会」一般 A 級の部優勝 (14才) |
2005年 | 「津軽三味線全国大会」一般 A 級の部二年連続優勝 (15才) |
2006年 | 「津軽三味線全国大会」一般 A 級の部三年連続優勝 (16才) |
津軽三味線界、唯一無二の存在が奏でる「津軽三味線新時代」の幕開けです
主な活動
2022年 |
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2021年 |
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2020年 |
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2019年 |
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2018年 |
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2017年 |
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2016年 |
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2015年 |
アニメいずめんと2015
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2014年 |
アニメいずめんと2014 |
2013年 |
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2012年 |
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2011年 |
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2010年 |
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2009年 |
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2008年 |
【アメリカツアー】
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2007年 |
【デビューイベント】
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2006年 |
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2005年 |
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2001年 |
みやぎ国体において総合開会式(宮城スタジアム)で演奏 |
海外公演
北アメリカ |
カナダ公演 ~Infine Echoes Japan ~ ノースカロライナ ローリー市公演 ヒューストン ジャパンフェスティバル ワシントンD.C さくら祭り100周年 全15ヶ所 カナダ公演ツアー(5都市6公演) ワシントンD.C ソロ公演 アメリカ ケネディーセンター ソロ公演 アメリカ フィラデルフィア ソロ公演 アメリカ アニメいずめんと ゲスト出演 |
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アジア |
東南アジア公演ツアー(カンボジア・ラオス・ミャンマー) 上海 ソロ公演 タイ公演ツアー 上海 日中交流35周年公演 |
ヨーロッパ |
オランダ公演ツアー(コンセルトヘボウなど 6都市6公演) 浅野祥アンサンブル バルト3国公演ツアー(エストニア・リトアニア・ラトビア) フランス リモージュ ソロ公演 スペイン バルセロナ公演 |